熊谷 亮二さま(第38期)

熊谷 亮二さま(第38期)
《 著書 》『競争しないから儲かる! ニッチな新規事業の教科書』
(すばる舎)2024.10.11

出版の動機

私は28歳から起業し経営していた時より「本を出しませんか」との電話が何度かありましたがその時は忙しくて出版など考える余裕もありませんでした。 2022年9月に自身で保有していた4つの会社を同時に株式譲渡しました。

 

私の4つの事業は敢えてニッチな事業を行い、下請けもしない事業でしたのでこの経験は出版に値すると当時から思っていました。

 

そんな思いもあり、株式譲渡で会社を譲ってから、「出版」の文字がまた頭の中から吹き上がってきました。そこで以前お話しを頂いていた幻冬舎に電話をしてみました。
でもよく聞くと自費出版で300万円ぐらい出版費用を払い、本を作る、出版話でした。
そこで何とか商業出版出来たいかと考え始めたのが私の出版の動機です。

スクール受講前の悩み

まず私なりに出版できるスクール(セミナー)を調べました。
ネクストサービスはコスパがいいのですが、本当に出版できるのかが疑問でしたので、まずは「出版実現セミナー」に参加しました。
講師の松尾先生は場慣れしているのもあったのでしょうが非の打ち所のない語り口で、自信をもってお話になっていました。でも私がこのセミナーを決めたのは見事な話しぶりではなく、休憩時間に松尾先生とお話をして「この人はウソのつけない人だな」と分かったからです。
出版できるかどうかは本人の実力ですが、講師を信頼できるかどうかは大切なことです。

出版までの道のり

全6回のセミナーを終え、最終日に出版社を迎えオーディションがあるのですが私は2社の出版社の方に選んでもらえました。実はもうこれで本を書くことが出来ると軽く考えていたのですが2社とも出版社の企画会議に通らず、再度企画を練り直し、結局企画書を7つも作りました。
でも私は「必ず出版する」という熱い思いがありましたので最後はその思いに編集長は 押し切られた感じはします。
私の場合の出版の道のりは先が見えない長い戦いとなり約2年の月日を要しましたが、今となれば話のネタを多く作った分、いい本に仕上がりました。

できあがった本の感想

本が出来るまで編集長と何度も編集を重ね、1字1句、本の表紙、イラスト、本の紙色までこだわり納得する本に仕上がったと思っています。しかし日が経つにつれ、「この内容も入れた方が良かったかな」「あれは削除してもよかったかな」と思う事が出てきますが家の建築と同じように完ぺきのモノは出来ないのかもしれません。
でもそれよりその当時の自分の思いが文章に生きており、今ではこれでよかったのかとも改めて思っています。

 

やっぱり本屋に自分の本が並べられている時の感動は今でも忘れることが出来ません。

 

今はなかなか私に本の辛口意見を言ってくれる人がいないのでそんな人を探し尋ねている日々です。

出版後に変わった事

執筆作業を通じて文才のなさや、もう少し経験値の高根を目指したい思いが沸き上がり、今年から通信制の4年制大学に通うことにしました。卒業するまで頑張りたいと思っております。
これまではキャンピングカーで日本1周をしたりするほどアウトドア派であったのですが今では一気にインドア派となり1日机にいることも増えてきました。

 

業界の慣習なのでしょうが出版後は「先生」「先生」と呼ばれ「こそばゆい」思いもしておりますが「社長」「社長」と同じようにそのほうが楽なのでしょう、もう気にならなくなりましたので「お好きにお呼びください」って感じです。

 

コンサルの仕事や講演依頼も舞い込み出版の力の強さに日々驚いています。

著者スクールを検討している人へのメッセージ

「スクール受講前の悩み」でも書きましたが私は検討して悩むというよりこのスクールが信用できるかどうかだと思っております。さすがに「100%出版できます!」とはスクール側も皆さんに言えないと思いますが、私はこのスクールの中でも出来の良い生徒ではなかったですが出版決定まで松尾先生にお世話になりました。ある時は編集長を外に出し食事に誘ってもらったり、松尾先生の懇意にされている出版社を紹介してもらったりとスクールが終わった後でも面倒を見てもらいました。
あと特記すべきはスクール卒業生同士の仲の良さです。スクールの生徒に対するケア、指導など「一体この空間は何何だろう?」と思える、アットホームな空気感がありました。これも松尾先生の人柄が作り出したものでしょう。
皆さ~ん、 悩むことはありませんよ!!
ぜひ一度 マツオワールドを体験に来てみてください。
また生徒にはその道のすごい人たちがいますので、その仲間たちと付き合うのも楽しいものですヨ。

プロフィール

32年間に渡り計4社を設立・経営したのち、一括で会社を売却した連続起業家。高校卒業後、航空自衛隊を経て23歳で叔父が経営する会社に入社。直後から新規事業を任され成功に導く。28歳で特殊塗料販売・施工会社を起業し順調に業績を伸ばすが、突然メインの取り扱いメーカーが倒産。危機に立たされ「独自の事業の大切さ」を痛感。ユニークなアイデアで異業種の会社を新たに3社設立する。以後32年間にわたり「競争が起きない事業を作ること」を考え抜き、4社で計6件の特許を取得。東京電力、関西電力、北陸電力、九州電力、JR、森ビル、ヤフーなどの上場企業と直接取引にこだわり、競争壁の高い新規事業ばかりを展開した。現在は経営・営業コンサルタントとして、「独自のアイデア発想力」と「スピード感ある企画力、事業構築ノウハウ」を後世に伝えるべく活動中。

 

株式会社オービット
代表取締役 熊谷 亮二