松田 二朗さま(第39期)
出版の動機
明確な動機というものはあまりなかったのですが、元々本を読むことが大好きで、読書数が2000冊を超えた頃から、「自分ならこんな本を出すのに…」と思うようになったことがきっかけです。
サラリーマンとして25年以上働きいろいろな経験を積んできて、その内容を後世に伝えることにも興味があり、年齢を重ねるごとに出版に対する思いが強くなっていきました。
スクール受講前の悩み
そもそもどうやったら出版できるのか、ということが悩みでした。
しかし、その悩みは、「完全決定版 誰でもビジネス書の著者になれる! 出版の教科書(松尾昭仁、秀和システム)」を読むことで、出版スクールの存在を知ることができ解決しました。
スクールに参加して良かったこと、苦しかったこと
良かったことは、松尾先生はじめ、多くのOB/OGやスクール生からのコメントやフィードバックをもらうことで、著書のテーマ設定や章立てに厚みができたことです。そして、お互いのことを全てさらけ出し、出版に向けて苦楽を共にした同期と巡り合えたことです。
苦しかったことは、何と言っても「生みの苦しみ」です。自分が経験してきたことをテーマにしようとしても、「そんな本売れない」と一蹴されてしまい、自分は一体どんな本が書けるのかと自問自答する日々が長く続き、精神的にも相当きつかったです。
出版までの道のり
まずは出版テーマ設定で迷走しました。自分の専門である技術的な内容では、商業出版として売れないと言われ、他のテーマを探すも難航。悶々とする中、プロフィールの中に1行だけ書いたウイスキーカスク投資から、サラリーマンでもできる投資について書くことが決まりました。
オーディションで興味を示していただいた4社と面談し、朝日新聞出版から出版することが決まりました。編集者の方がとても親身になっていただける方で、私の意思を尊重してくださり自由に書くことができました。
執筆活動ですが、平日は毎朝4時半から出社までの3時間、土日祝日は1日5時間以上書き続けて、3か月で一旦全部の章を書き上げました。テーマ設定とは違い、執筆活動は自分が思っていたよりもスラスラ書けて、毎日楽しくワクワクしていました。
その後は、編集者の方の校正をいただき、章立ての変更、書いた内容のバックデータや文脈の確認といった緻密な作業が続き、最終的に15回書き直しました。それでも、自分が書きたいことを自分の意思で書けることが楽しくて、毎日が充実していました。
書き始めから出版までの約9か月間は、これまでの人生の中で最も充実した時期だったと言っても過言ではありません。
できあがった本の感想
手に取ったときは、純粋にうれしかったです。一方で、執筆活動が終わってしまったことが悲しく、ずっと書き続けていたいという思いもありました。書店の店頭に並んだ本を見たときには、自分ではない別の著者が書いたのではないか、と錯覚しました。何だか現実味がなくフワフワしていて、夢を見ているのではないかと感じました。
出版後に変わった事(ビジネス・プライベート)
変わったことは特にないですが、うれしかったのは、身内や知人が自分のことのように喜んでくれたことです。出版後もサラリーマンとして働いているので、ビジネス上も特に変わりません。
あえて言うなら、自分の気持ちが変わったかも知れません。出版するまでは「本を出すのは思い出作り」と思っていて、定年までサラリーマンを続けることしか考えていなかったのですが、出版後は、どうやったら自立できるのか、ということを考えるようになりました。
著者スクールを検討している人へのメッセージ
私はスクールに入るまでの4年間、松尾先生のFacebookを見続けていましたが、スクールに入る決断がなかなかできませんでした。理由は、自分が本当に本を書けるのかという疑問と、本当に信用していいスクールだろうかという疑いからでした。
しかし、いざ入ってみると、代表の松尾先生はとても気さくな方ですし、すでに出版を経験した多くのOB/OGがいることで、出版の現実味を感じることができます。これはネクストだからこそ感じることができる、貴重な体験だと思います。
スクールでは、商業出版として売れるテーマ選定と、多くの編集者を集めた上で開催されるオーディションまでは導いてくださいますので、商業出版できる確率はかなり高いと思います。私の同期も、全員いずれかの出版社が手をあげてくださり、面談できるところまで行きました。
以前の私のように迷っているようでしたら、少しの勇気をもって飛び込んでみてください。きっと楽しい未来が待っています。
プロフィール
松田二朗(まつだじろう)
1971年生まれ 鹿児島県出身
ソフトウェア技術者
プロサラリーマン投資家
1996年 長岡技術科学大学院を修了後、半導体設計やAI関連ソフトウェア技術者として勤続25年以上。高校1年から大学院卒業までの9年間、日本育英会(現:独立行政法人日本学生支援機構)から奨学金を借り続け、最終的な借入総額は600万円を超えた。奨学金を全額返済した30代半ばから貯蓄を始める。もともと投資に対して臆病で否定的だったが、40代後半からは本格的に投資も行うようになり、5年で資産を倍増させることに成功。現在は、NISA(少額投資非課税制度)を活用した投資信託だけでなく、アンティークコイン、ウイスキーカスクなど、いかにも怪しいと言われそうなマニアックな商品にも投資している。当面の目標は、資産を1億円にまで増やし、富裕層の仲間入りをすること。