峯田昌さま(第31期)

峯田昌さま(第31期)
《 著書 》『“泣いてもいいんだよ”の育児 』
(自由国民社)

出版の動機

育児を頑張っているお母さんたちの味方になるような本を出したい。
助産師の仕事は、出産の介助以外にも広きにわたること、育児に寄り添う助産師の存在を世の中に知ってもらいたい。助産師だからこそ知っていることをお伝えしたいという気持ちが以前よりありました。
SNSで発信をしている人は多々いますが、いつでも自分のタイミングで読み返し、そばにおいておける紙の書籍、そして手にした方が他の方へも伝えていくツールとして紙の書籍を出版したいと思っていました。

スクール受講前の悩み

すでにネクストサービスの著者スクール受講をして出版した夫には、出版するには、ネクストサービが近道と常々言われていました。
しかし、ネクストサービスは、ビジネス書中心の印象があり、自分の職業には不向きではないか。そして、スクール料金も自分にとっては高額でした。
また、出版している助産師は、超ベテランの方ばかりであり、助産師としては経験の少ない無名の私が本当に出版できるのかと不安もありました。
試しに自分の企画をいくつかの出版社に送ってみましたが、全く反応なし。

 

そこで出版スクールの受講を思い切って決断した矢先に、コロナ禍で医療者の自分が沖縄県外に出ることが困難となり、一旦断念することになりました。
その後も、コロナ禍は収束する様子もなく、世の中の情勢が落ち着くのを待っていても時間がたつばかりと、当初の予定より2期遅れて受講をお願いすることにしました。
結局、再び緊急事態宣言下となってしまい、松尾先生に相談すると、ZOOMも併用して何とか受講を継続することができました。

スクールに参加してよかった事・苦しかった事

受講したいのにできない状況の時が悶々としていました。
受講を決めてからは、出版を目標に前に進むしかないという気持ちだけでした。
最終日のオーデションは、出版社が手を挙げてくれるイメージを持ち、前向きな気持ちで臨みました。しかし、最終日のオーデションでは、出版社の札がひとつも上がらないという事態が起こりました。ネクストサービスでは、1人のスクール生に何社も札が上がるのが通例です。1社も上がらないのは、数年ぶりということでありました。
ショックという気持ちよりは、頭真っ白。悲しいという感情というよりは、一緒に学んだ仲間たちが、思いっきり喜べないという事態が申し訳なく感じ、辛かったです。

 

スクールの時に、松尾先生が、何度か「あきらめなければ必ず出版できます。いつまでもフォローします」とおっしゃっていました。
その言葉通り、オーデション後の懇親会でフォローしてくださり、すぐに出版に結びつくことができました。

出版まで・できあがった本の感想

出版社が決まってからは、順調に企画が通り、編集者からの締め切りに遅れないよう、集中して執筆していきました。タイトなスケジュールもありましたが、執筆したくてたまらなかったので楽しい作業でした。
そして、オーデション後、9か月後には、書店に本が並んでいました。
最終的には、一番出したい内容で出版出来たのです。
編集者のアイデアで追加した内容は、振り返ると、なるほどと思うことばかりでありました。私の想いが詰まっている本が、多くの方に支えられて出来上がっていきました。
多くの仲間たちが応援してくれる、出版社がいろいろな方法で広めてくれる、これは、ネクストサービスの著者スクールに参加し、商業出版であるからこそであると、実際に出版してから実感しました。

 

書店に並んだ時は、信じられないような、実感できないような気持がありましたが、読んでいただいた方からの様々な感想をいただき、出版するということは思っていた以上に反響があることが分かったところです。

メッセージ

「諦めなければ、必ず出版できる」これは、本当です。
受講料は、高額と思いましたが、その後のフォローやネクストサービスの松尾先生やスタッフの方、そしてOB・OG、仲間との繫がりは、お金で換算できないと思います。
商業出版は本当にすごいです。商業出版への近道は、ネクストサービスの著者スクールであると思います。また、スクールでお会いした同期生は、普段の生活では、まずお会いできない方ばかりで、他者目線をたくさんいただき、とても刺激的でした。
受講料のこと、仕事の調整、家族の理解など困難に感じる理由は、いくらでも見つかると思います。でも、出版したい気持ちがあるのなら、出版できるという前向きな気持ちのみ持って、ネクストサービスの著者スクールを受講することが近道だと思います。

プロフィール

みねた助産院 院長
アドバンス助産師、看護師、保健師
1969年埼玉県出身。日本赤十字看護大学卒業後、看護師、保健師として総合病院に勤務。

 

出産したら誰もができると思っていた母乳育児がうまくいかない経験を自ら体験。
3人めの出産後、助産師になることを決意。
日本赤十字看護大学大学院修了し、助産師資格取得。
総合病院、産科クリニック勤務後、みねた助産院設立。

 

“困ったお母さんを絶対に一人にしない”が信条。「赤ちゃんの想いや赤ちゃんの力」を知ることでママたちが育児に前向きになり、自信をつけていく様子を日々目の当たりにしている。育児支援者向けの講座など育児を支える支援者の充実にも力を注ぐ。東日本大震災後に茨城県から沖縄県に一家で移住。夫と3人の子の5人家族。