谷岡憲隆さま(第23期)
《 著書 》『元JAXA研究員も驚いた!ヤバい「宇宙図鑑」』
(青春出版社)

出版の動機

個人的研究テーマ「ドレミファソラシドは誰が創り、どのような発想から音階が産まれたのか?」について、ここ数年間で2000年間の音楽史を調査してまとめました。私はこの調査資料を本にしたいと考えていたのです。しかし、個人が出版社に投稿しても無名の作者では門前払いで入口に立つことはできませんでした。その後、出版社編集部への入口を探したところ松尾昭仁先生のビジネ著者養成ススクールを知ることになりました。

スクール受講前の悩み

松尾先生のスクールはビジネス本が対象なのでやや畑違いと思ったので、まずはお試しの予備講座に参加してみました。セミナーの講義内容はとてもよかった。しかし、費用(講座費)いささか高い。実際、家内に相談したら「とんでもない!」の一言でしたが、人間は行動しないと何も進まないと一念発起して受講を決断したのです。

良かったこと、苦しかったこと

講義の冒頭で、「良い本を書いて文化に貢献したいという考えは止めた方が良い、出資してくれる出版社のためにも売れる本を書くことに神経を配ってください」と言われて正直ガックリしました。加えて「自分の意見より他人の意見を聞いいてください」の言葉にも相当のダメージを受けました。

 

しかし、結果論としてこれは後で役に立つ重要なメッセージとなったのです。前者は対象となる読者がどのくらい居るかの視点で1万人程度の専門家相手より、数百万人規模の一般読者を対象としたテーマの方がよいと考え、企画書のテーマを切り替えました。本を発行しても読んでもらえないと意味がないし自己満足になってしまう。

 

当初は音楽理論の本を書きたかったが、最終の企画書テーマは自分の本業である宇宙開発に切り替えました。後者は、自分の独りよがりの部分を他人から客観的な立場で指摘されて、自分も自ら受け入れるように努力しました。最終段階で企画書のテーマを変更して同期の皆さんをびっくりさせたことを思い出します。ここで学んだのは魚がいない釣り堀では釣果は得られないという「釣り堀論」でした。

出版までの感想

オーディションをやっている同じ日に、青春出版社では企画会議で私の企画書を通してくれていたという奇跡的なことが起こりました。但し、出版社からは読者層の年齢は小学校5年生が理解できる内容と注文がつきました。専門的な話を年齢にふさわしい構成と内容にする点は苦労しました。しかし一気に3か月くらいで原稿を作成しました。

できあがった本の感想

一言でいうと感激でした。従来、学術論文などはいくつか書きましたが、本という独立した書き物とは全く別の感激です。表紙は漫画チックなデザインであり生真面目な自分のタイプとはちょっと違う。少々照れくさいというのが正直な感想でした。

メッセージ

出版を通じて二つの大きなことを学びました。この教訓は悩んだときに役に立ちました。

 

(1)映画で例えると、「編集者は映画監督」、「著者は映画俳優」。出版社は独自にマーケットリサーチをして売れる本の企画を練っているので素直に監督に従うことです。1冊目は小学校5年生、2冊名は大学生と指定されて今執筆しています。執筆者は指示されれば、その通り演技して本を書くことに努めます。私はこれしか書けませんというのでは俳優の演技力が足りないと感じました。

 

(2)「魚を釣るには魚がいる釣り堀で糸を下す」。良かったこと、苦しかったことの項で書きましたが、本を出版しても読んでくれる人がいないと意味がないのは事実です。お陰様で、出版直後の2019年5月から12月までの長い間、Amazonの航空宇宙分野でベストセラーの1位を確保できました。処女作ながら発行部数は大台(1万部)に達しました。

プロフィール

1969年東京大学宇宙航空研究所に入所。宇宙無線機器の開発に携わり、日本初の人工衛星「おおすみ」の打上に参画。1974年宇宙開発事業団(現JAXA宇宙航空研究開発機構)に転職し、宇宙無線通信システムの開発をはじめロケットの開発、人工衛星の開発、宇宙ステーションの開発など多くのプロジェクト開発に参画する。地球観測技術研究室長、研究開発部長を歴任して2007年に退職。
退職後は日本電気(株)宇宙開発事業部主席技師長、HIREC(株)主席技師長を勤める。
現在はJAXA社友の称号を受け、つくば宇宙センター展示館の技術説明員として活動中。